冬の陣から4か月後 {大坂城・重要文化財・歴史}

1603年に徳川幕府が成立した後も、秀頼は大坂城に留まり摂津・河内・和泉を支配していたが、1614年の大坂冬の陣で家康によって構成された大軍に攻められ、篭城戦を行った。

そして、その講和に際して惣構・三の丸・二の丸の破却が取り決められ、大坂城は内堀と本丸のみを残す裸城にされてしまう。

秀頼は堀の再建を試みたために講和条件破棄とみなされ、冬の陣から4か月後の1615年、大坂夏の陣で大坂城は落城し、豊臣氏は滅亡した。

落城に際して灰燼に帰した大坂城は初め家康の外孫松平忠明に与えられたが、1619年に幕府直轄領に編入された。

翌1620年から2代将軍徳川秀忠によって大坂城の再建が始められ、3期にわたる工事を経て1629年に完成した。

徳川氏の大坂城は豊臣氏の大坂城の石垣と堀を破却して、全体に高さ約1メートルから10メートルのの盛り土をした上により高く石垣を積んだので、豊臣大坂城の遺構は地中に埋もれた。

update:2010年03月08日